言葉の意味

「エモい」の由来

エモいの意味

ここ数年、若者のあいだで頻繁に使用されるようになった言葉に「エモい」があります。

日常的に使われる「エモい」、一体どういう意味なのでしょうか。

意味は、感情が揺さぶられたり、哀愁が漂ったり、言葉にできない悲しみのような感情が湧き上がってくる心境を指します。

沈んでいく夕陽やひとりぼっちの帰り道、桜の散る春の刹那、こうした風景や風景を見て生じる感情を若者たちは「エモい」と名付けています。

これは和歌や随筆など古文に登場する、「いとをかし」や「あはれ」という言葉の意味とよく似ています。

日本語学者の飯間浩明も、同様に古代の「あはれ」と似た意味であるとしており、「『いとあはれ』と言っていた昔の宮廷人は、現代に生まれていたら『超エモい』などと表現していただろう」と述べている。

出典 :「エモい」| wikipedia

試しに日本の古典のなかから清少納言の「枕草子」の冒頭の一節を紹介します。

その後、この「枕草子」の随所に「エモい」を入れて意味を解説したいと思います。

秋は夕暮。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、からすの寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり。

まいて雁(かり)などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。

出典 : 清少納言「枕草子」

これをざっくりと「エモい」を補いながら現代語訳にします。

秋は夕暮れがエモい。夕陽がさして山の端にたいへん近くなっているところに、からすが寝ぐらに行こうとして三羽四羽、二羽三羽、と飛び急ぐ、そんな様子さえもエモい。

まして、雁などが連なって飛んでいるのが、とても小さく見えるのは、もうめちゃくちゃエモい。ヤバい。泣く。

出典 : 清少納言「枕草子(エモい ver)」

感受性の繋がりを感じて面白いですよね。

ちなみに、この部分も含め実際の冒頭は、原文と現代語訳が並んで載っている「枕草子」を読んでみて下さい。

エモいの由来(語源)は

それでは、「エモい」の言葉の由来(語源)とは何なのでしょうか。

この「エモい」の「エモ」というのは、実は英語の「エモーショナル(感情)」が由来となっています。

一方で、ツイッターでは「エモい」の由来について、次のようなユニークな説も挙がっています。

「エモい」の由来は、日本語の「えもいわれぬ」ではないか、というのです。

えもいわれぬ、というのは、「言葉にできない」という意味で、たとえば、「富士山の夕陽は、えもいわれぬ美しさだった」といった風に使われます。

この「えもいわれぬ」の最初の部分をとって「エモい」と言うのではないか、という声は確かに多く、実際に「えもいわれぬ」の略語だと思っていたという声も多数あります。

ただ、もともとの由来は、やはり「エモーショナル」のようです。

でも、不思議で面白い偶然ですね。

「ご冥福をお祈りします」の意味

「ご冥福をお祈りします」

ひとが亡くなるたびに耳にする言葉の一つに「ご冥福をお祈りします」という表現があります。

冥福を祈る、というのは一体どういう意味か、意外とわからないまま使っている方も多いのではないでしょうか。

そもそも「冥福」の意味とは何か、どんな使い方が正しいのか、といったことについて簡単に解説したいと思います。

冥福の意味

ひとの死というのはとても繊細な事象なので、できるだけ正しい言葉遣いや振る舞いで遺族や友人の方々の気分を害さないようにしたいもの。

だからなるべく紋切り型の表現をすることも多いでしょう。

その一つに、「ご冥福をお祈りします」という言葉があります。

この「冥福」というのは、「死後の世界の幸福」を意味します(4、の意味ですね)。

「冥(めい・みょう)」の意味

1 暗くて見えない。「冥暗・冥冥/晦冥(かいめい)・昏冥(こんめい)・幽冥」
2 道理に暗い。「頑冥」
3 奥深い。心の奥底。「冥想」
4 あの世。「冥界・冥土・冥福」
〈ミョウ〉人知を超えた神仏の働き。「冥加・冥護・冥利」

出典 : デジタル大辞泉

要は、「ご冥福をお祈りします」とは、亡くなった方の死後の世界の幸福を祈る、ということを意味します。

こうした意味を考慮すると、ご遺族の方に直接語りかける際に「ご冥福をお祈りします」と言うのは違和感があります。

この「ご冥福をお祈りします」というのは、故人に向かって使う言葉で、遺族の方には、「御愁傷様(ごしょうしゅうさま)でございます」や「お悔やみ申し上げます」を使いましょう。

例 : この度は御愁傷様でございます。

例 : この度は心からお悔やみ申し上げます。

これらは一緒に使っても問題ありません。

「ご愁傷様でございます」「お悔やみ申し上げます」の意味と、「ご冥福をお祈りします」の違いは?

今紹介した、「ご愁傷様」や「お悔やみ申し上げます」の意味を整理したいと思います。

「ご愁傷様でございます」というのは、相手を気の毒に思っている、という意味です。

皮肉のニュアンスで使用されることもあるので抵抗があるかもしれませんが、ご遺族と会った際は「この度はご愁傷様でございます」と言って頭を下げましょう。

「お悔やみ申し上げます」というのは、故人の死を悲しんでいること、悔やんでいること、といった意味合いがあります。

先ほども触れたように、二つの言葉は併用できるので、「この度はご愁傷様でございます(でした)、心からお悔やみ申し上げます」といった風に言いましょう。

「ご冥福をお祈りします」との違いは、「ご冥福をお祈りします」が故人に向かって使う言葉であるのに対し、「ご愁傷様でございます」や「お悔やみ申し上げます」は遺族の方に向かって使う言葉です。

キリスト教では「ご冥福をお祈りします」は使ってはいけない?

死後の世界については、宗教的な背景と密接に関わってきます。

そのため、ある仏教の葬儀とキリスト教の葬儀とでは全く違った形になりますし、「死後の世界」も変わってきます。

それでは、「ご冥福をお祈りします」という言葉はキリスト教などで使ってはいけないルールなどはあるのでしょうか。

基本的に、この「冥福」という言葉は特定の宗教には関係ないようです。

以下は、20年以上葬儀の現場で働いている方のブログの記述です。

一部で言われている「冥福」という言葉はキリスト教や浄土真宗で使ってはいけない、という「葬儀知識」ですが、お葬式に参列される方は気にしなくても良いと思います。

出典 :「ご冥福をお祈りします」の意味と正しい使い方|考える葬儀屋さんのブログ

この「冥福」という言葉は、何かの宗教的な用語というわけではないので、あまり気にすることなく使用していいようです。

ただ、「冥」には「暗くて見えない」などネガティブな印象を抱かせる意味も含まれ、絶対天国にいけるキリスト教や極楽浄土にいける浄土真宗には適さないのではないか、という声もあります。

このことに関しても、この「葬儀屋さん」は問題ないと言います。

実際、「キリスト教や浄土真宗のお葬式の最中に「御冥福をお祈りいたします」という文言の入った弔電をこれまで何百通も代読していますが宗教者から指摘されたことはない」そうです。

一方で、使うべきではない、という意見も紹介したいと思います。

マナーとして、「ご冥福をお祈りします」というお悔やみの言葉は、「浄土真宗」「神道」「キリスト教」での通夜や葬儀では、ふさわしくありませんので使わないように気をつけましょう。
これは、宗教・宗派として「冥福」という考え方がないためとなります。事前に故人の宗教や宗派を確認してから参列するように心がけましょう。

もし故人の宗教や宗派が分からない場合は、「ご冥福をお祈りします」の言葉を使うことは控えましょう。

出典 : ご冥福をお祈りしますの意味と使い方|よりそうのお葬式

https://www.noraneko.tokyo/%E3%80%8C%E3%81%94%E5%86%A5%E7%A6%8F%E3%82%92%E3%81%8A%E7%A5%88%E3%82%8A%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%8D%E3%81%AE%E4%BB%A3%E3%82%8F%E3%82%8A%E3%81%AB/

まとめ

もう一度、最後にまとめたいと思います。

この「ご冥福をお祈りします」というのは、死後の世界(あの世)の幸福をお祈りします、ということを意味します。

そして、この「冥福」というのは、決して特定の宗教用語ではなく一般的な言葉として使われてきたものなので、基本的にはキリスト教や浄土真宗などで使ってはいけない、ということはないようです。

実際、横浜市の火葬場では、遺族に渡す書類を入れる封筒に「ご冥福をお祈りいたします」と大きく印字されているそうです。

この言葉をニュートラルに捉えているということでしょう。

ただし、直接遺族の方に言うのは違和感があるので、その際は「御愁傷様でございます」「お悔やみ申し上げます」を使うとよいでしょう。

また、基本的に「ご冥福をお祈りいたします」というのは、弔電などで使われる「文語体」です(これは「哀悼の意を表します」も同じです)。

でも、テレビなどで有名人や政治家が亡くなった際などは、生前の友人が「ご冥福をお祈りします」と言っているのを見かけることがあります。

おそらくこれは、遺族の方に向けてではなく、誰にともなく言っている言葉なので使っているのでしょう。

ツイッターなどでも使われますよね。

ツイッターも、誰にともなく(あるいは故人に向けて)語られた言葉(文語)なので違和感がないのでしょう。

人文書の意味(定義)及び、文芸書との違いとは

人文書とは

前回、本屋でよく見るジャンル「文芸書」の定義についてお話しました。

https://www.noraneko.tokyo/?p=4173

簡単におさらいすると、「文芸書」は、「文字を使った芸術作品全般」を意味する、ということでした。

さて、この「文芸書」と似ているジャンルとして「人文書」というジャンルがあります。

まだ「文芸書」はさらっと入れる棚ですが、「人文書」となるとちょっとハードルが高く、本の奥地という感じがするかもしれません。

きょうは、そんな「人文書」の定義について解説したいと思います。

人文書の定義とは

先ほど、「文芸書」とは、「文字を使った芸術作品全般」という風に言いましたが、ざっくり言えば「文学作品」です。

一方、「人文書」を個人的に定義するなら、「文系分野を分析する、学問に関する本」かな、と思います。

この「人文書」には、「社会」「教育」「歴史」「心理」「宗教」「哲学・思想」といったものが含まれます。

これらは、ものごとを客観的に見て、分析する「学問書」です。

広い意味では「芸術作品」だと言われるかもしれませんが、狭義の意味では、「芸術作品」とは言えないでしょう。

文芸書と人文書の違い

最後に、文芸書と人文書の違いについて簡単にまとめたいと思います。

文芸書が、小説や詩といった「文学作品」なのに対し、人文書は、文系分野を客観的に分析する「学問書」です。

以上、「人文書」の定義でした。

文芸書とは、その意味と定義

文芸書とは

よく本屋やテレビなどで「文芸書」という言葉を見ることがあると思います。

文芸書のランキングのコーナーをさらっと斜め読みしたり、おすすめの文芸書のサイトを参考にしたり。

しかし、そもそも「文芸書」とは一体どんな意味なのでしょうか。

文芸書の定義について考えてみると、意外とピンとこないひとも多いのではないでしょうか。

そこで、そもそも「文芸書とは」という言葉の定義について解説したいと思います。

文芸書の定義

文芸書とは、実は定義がとても曖昧で、ざっくりと文学作品全般を指します。

ある辞書では、「文字で表現された芸術作品」とあります。

こうした広い意味を持った言葉なので、ドキュメンタリーやビジネス書も、小説っぽい雰囲気があれば、それは「文芸書」に含まれるのです。

試しに、あるサイトの書店員がおすすめする「文芸書」の一部を見てみましょう(参照 : 迷ったらこれ!書店員おすすめ文芸書♪)。

新海誠『小説 君の名は。』

石原慎太郎『天才』

村田沙耶香『コンビニ人間』

やはり「小説」のようなものが全てを占めています。

KADOKAWAの文芸書のカテゴリーをみても、「小説」がずらっと並んでいます。

KADOKAWA 文芸書の新刊一覧

一方で、ランキングにはありませんが詩集なども文芸書に含まれるようです。

以上のように、「文芸書」とは、文字を使った芸術作品全般を意味するジャンルということができるでしょう。

「覚束ない(おぼつかない)」の意味や語源とは

おぼつかないの意味や語源とは

日本語で、「覚束ない(おぼつかない)足取り」という言い回しがあります。

先日、ふと疑問に思ったことが、「覚束ない足取り」って大人にも使えるのかな、というもの。

そこで今回は、その辺りを中心に色々と調べてみたので解説したいと思います。

まず、この「覚束ない(おぼつかない)」とは、一体どういった意味でしょうか。調べると、「覚束ない(おぼつかない)」には、複数の意味がありました。

「おぼつかない」の意味

①確かでなく、はっきりしない。ぼんやりとしている。

②うまくいく見込みがない。疑わしい。不審だ。

③しっかりしていない。心もとない。頼りない。

④長らく対面しない。無沙汰している。 待ち遠しい。早く会いたい。

なんとなく、③の意味が馴染みがあるかな、と思います。

次に、「覚束ない(おぼつかない)」の語源について見てみましょう。

「おぼつかない」の「おぼ」は、「おぼろげ」などの「おぼ」と同じ語幹です。

そして、「ない」というのは実は否定の「ない」ではなく、形容詞を強調する意味合いの言葉(「切ない」「せわしない」など)です。

そのため、「おぼつく」という動詞があるわけではなく、「おぼつかない」という一つの形容詞であり、「おぼつきません」といった使い方もしません。

また、「覚束ない」という漢字も当て字なので、「覚束」という言葉自体ないようです。

覚束ない(おぼつかない)足取りは大人でも使える?

冒頭の「覚束ない(おぼつかない)足取り」という言葉に戻りたいと思います。

これは、③の意味に当てはまり、どこか心もとなく、頼りなさげに歩く様子を指し、歩き始めたばかりの赤ん坊に対して使われることが多いでしょう。

しかし、特に「赤ん坊」といった意味が特別込められているわけでもないので、大人に対しても使える用語です。

振り返ると、さっき新聞を広げていた中年の男が、おぼつかない足取りで入ってくるところだった。

出典 : 宮部みゆき『龍は眠る』

と、宮部みゆきさんの小説で中年の男(大人)にも使用されています。

以上、「(覚束ない)おぼつかない」という言葉の意味や語源について調べてみました。