「令和」由来『万葉集』の「梅花の歌三十二首并せて序(序文)」の作者は誰?
新元号「令和(れいわ)」の出典となった万葉集は、7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集です。
天皇から大道芸人、作者不詳の和歌まで様々な身分の人々が詠んだ作品が4500首以上収録されています。
万葉集のうち、「梅花の歌三十二首并せて序」という梅花の宴を開いたときに詠まれた32首の和歌が収録された部分の序文が、新元号「令和」の由来となっています。
序文の一節に、次のような箇所があります。
原文
時に、初春の令月(れいげつ)にして、気淑く(き よく)風和ぎ(かぜ やわらぎ)、梅は鏡前の粉(こ)を披き(ひらき)、蘭は珮後(はいご)の香を薫す(かおらす)。
現代語訳
時あたかも新春の好き月(よきつき)、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉(おしろい)のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香の如きかおりをただよわせている。
ここで使用される「令月」という言葉が、「好き月」、めでたい月、素晴らしい月という意味で、「風和らぎ」の「和」と合わせて「令月」という元号になります。
この「令和」の提案者と言われているのが、日本文学者で『萬葉集 全訳注 原文付』の著者でもある中西進さんです(参照 :「令和」の典拠 万葉集 梅花の歌 中西進さんはこう訳した|NHK)。
天平2年(730年)の正月13日、太宰府の長官だった大伴旅人(おおとものたびと)の家の梅園に、山上憶良(やまのうえのおくら)や下僚ら約30人が集まって催された「梅花の宴」の宴席。
庭に咲く梅の花を眺め、中国でも梅の詩がある。今も昔も変わらない。このときの感慨を和歌にしよう、と序文では語られています。
それでは、この「令和」の由来となった序文「梅花の歌三十二首并せて序」の作者は一体誰なのでしょうか。
実は、作者が誰かははっきりとは分かっていません。
大伴旅人、山上憶良などの説があります。
岩波文庫さんによれば、大伴旅人作者説が濃厚のようです。
新元号「令和」の出典は、『万葉集』の「梅花の歌32首」の序。太宰帥の大伴旅人邸で梅花の宴が開かれ、太宰府官人などが歌を詠んだもの。序は旅人自身が作ったとされています。「あたかも初春のよき月、気は麗らかにして風は穏やかだ。」(『万葉集(二)』☞ https://t.co/GDOxGXTFqs ) pic.twitter.com/rYkGpMKEXT
— 岩波文庫編集部 (@iwabun1927) 2019年4月1日
大伴旅人は、この「梅花の歌三二首」で、次のような歌を詠んでいます。
わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも(私の庭に梅の花が散っている、まるで天から雪が流れ来るように)。