国民栄誉賞の死後の受賞
メジャーリーグ・マリナーズを現役引退したばかりのイチローさんが、政府が授与する方向で動いていた国民栄誉賞の辞退を政府側に伝えました。
イチローさんは現役時代に過去二度国民栄誉賞の授与の打診があったものの、二度とも「現役」ということを理由に断ってきました。
引退となり、今度は国民栄誉賞を受賞するのではないか、とも期待されましたが、三度目も辞退することを決めたようです。
理由は、
人生の幕を下ろした時に頂けるよう励みます。
というものでした。
人生の幕、とは一体どういう意味なのでしょうか。
人生の幕を下ろす、というのが、野球人生のことであれば、今後も指導者などの道に進み、野球に携わっていく覚悟とも受け取れます。
一方、文字通り、「人生」が終わってから、ということであれば、これはもう実質(少なくとも生前には)国民栄誉賞は受け取らない、という意味にも取れるでしょう。
ところで、国民栄誉賞を死後に受賞する、という場合はあるのでしょうか。
実は、過去に12人、没後に国民栄誉賞を受賞している受賞者がいます。
古賀正夫 (古賀政男) |
没後受賞 (満73歳没) |
1978年8月4日 (福田赳夫改造内閣) |
作曲家 | 独自の曲調「古賀メロディー」作曲による業績。 |
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長谷川一夫 | 没後受賞 (満76歳没) |
1984年4月19日 (第2次中曽根内閣) |
俳優 | 真摯な精進 卓越した演技と映画演劇界への貢献。 |
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植村直己 | ![]() |
没後受賞 (満43歳没) |
1984年4月19日 (第2次中曽根内閣) |
冒険家 | 世界五大陸最高峰登頂など。上の長谷川と共に史上初の複数人同時受賞となった。 |
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加藤和枝 (美空ひばり) |
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没後受賞 (満52歳没) |
1989年7月6日 (宇野内閣) |
歌手 | 真摯な精進、歌謡曲を通じて国民に夢と希望を与えた。 |
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長谷川町子 | ![]() |
没後受賞 (満72歳没) |
1992年7月28日 (宮澤内閣) |
漫画家 | 家庭漫画(『サザエさん』)を通じて 第二次世界大戦後の日本社会に潤いと安らぎを与えた。 |
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服部良一 | ![]() |
没後受賞 (満85歳没) |
1993年2月26日 (宮澤改造内閣) |
作曲家 | 数多くの歌謡曲を作り、国民に希望と潤いを与えた。 |
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田所康雄 (渥美清) |
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没後受賞 (満68歳没) |
1996年9月3日 (第1次橋本内閣) |
俳優 | 映画『男はつらいよ』シリーズを通じて、 人情味豊かな演技で広く国民に喜びと潤いを与えた。 |
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吉田正 | ![]() |
没後受賞 (満77歳没) |
1998年7月7日 (第2次橋本改造内閣) |
作曲家 | 独自の曲調「吉田メロディー」の作曲により 国民に夢と希望と潤いを与えた。 |
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黒澤明 | ![]() |
没後受賞 (満88歳没) |
1998年10月1日 (小渕内閣) |
映画監督 | 数々の不朽の名作によって国民に深い感動を与えるとともに、 世界の映画史に輝かしい足跡を残した。 |
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遠藤実 | ![]() |
没後受賞 (満76歳没) |
2009年1月23日 (麻生内閣) |
作曲家 | 世代を超えて長く愛唱される、 情感に満ちあふれた名曲を数多く世に送り出した[11]。 |
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森繁久彌 | ![]() |
没後受賞 (満96歳没) |
2009年12月22日 (鳩山由紀夫内閣) |
俳優 | 芸能の分野において長年にわたり第一線で多彩に活躍。 数多くの優れた演技と歌唱は広く国民に愛された |
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納谷幸喜 (大鵬幸喜) |
没後受賞 (満72歳没) |
2013年2月25日 (第2次安倍内閣) |
大相撲力士 | 1960年代に“子どもの好きな物”として 読売ジャイアンツや玉子焼きと並び称されることが流行語になったほどの人気者。 大相撲史上最多となる32回の幕内優勝を成し遂げるなど、 “昭和の大横綱”として相撲界に輝かしい功績を残すとともに、 多くの国民に愛される国民的な英雄として 社会に明るい夢と希望と勇気を与えることに顕著な業績があった |
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イチローさんも、全ての人生を終えて、それでも受賞できるようなら、という意味で、「人生の幕を下ろした時に頂けるよう励みます。」と語ったのかもしれません。