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マツコの風俗史で、飛田新地の映像に『千と千尋の神隠し』のBGM使用の理由とは

『マツコが日本の風俗を紐解く』の概要

マツコ・デラックスさんの番組『マツコが日本の風俗を紐解く』で、日本の風俗史を特集しました。

番組はだいぶディープな内容で、日本の風俗の歴史や変遷について紹介、解説をしていました。

番組内では、撮影が禁止されている大阪の風俗街「飛田新地(とびたしんち)」の動画も流れ、ネット上で話題となりました。

テレビではもしかしたら初めて放送されたのかもしれません。初めて実際の光景を観た、という声も多く挙がっていました。

大阪の西成に飛田新地がつくられたのは、大正時代半ば。その後、国の認可を受けて営業していた遊郭は、1958年の売春防止法によって遊郭から料亭街に姿を変えました。

なぜ料亭街だったのでしょうか。

それは、飛田新地で行われていることは、売春ではなく、客と仲居の自由恋愛ということにしたのです。こうまでして飛田新地を守ろうとした理由について、「売春」が禁止され、あの場所がなくなることで職を失う女性が大勢出ることから守ろうとしたのではないか、とナレーションで解説されていました。

この紹介VTRでは、1958年当時の飛田新地の映像が流れ、その貴重な映像にマツコさんやゲストの友近さんも驚いていました。

飛田新地は、夜になるとその表情を変え、160軒もの店がぎっしりと並んで、男性客を迎えます。

料亭街の通りには、五種類あり、それぞれ通称で、青春通りやメイン通り、大門通り、熟女通りから年金通りなどと呼ばれているそうです。

出典 : マツコが紐解く日本の風俗

飛田新地のシステムは、写真で女性を選ぶのではなく、あくまで自由恋愛ということで、店のなかに女性が座り、直接顔を合わせて判断できる仕組みとなっています。

女性の隣には、案内役の老女が座り、女性に惚れた客は、老女に六畳一間の二階に案内されます。

とにかく流れてくる女性や建物の雰囲気がセンセーショナルで、マツコさんも映像を見ながら「本物!?」となんども驚いていました。

その他、ディープな日本の風俗の歴史が、番組では放送されていました。

なぜBGMに『千と千尋の神隠し』の曲?

ところで、この飛田新地の映像が流れるときに、ジブリの『千と千尋の神隠し』の曲が流れました。

一体なぜジブリの音楽なのでしょうか。

おそらく、その選曲の理由は、『千と千尋の神隠し』で千尋が両親の罪を背負って働くのが「湯女」だからなのでしょう。

湯女とは情婦のことも意味し、あの映画は、高度成長や飽食(両親のような)のツケを、その娘たち、これからの若者たちが払い続けなければいけないことを表現しているのだと思います。

「千と千尋」はなぜ「湯女」なのか

ジブリの『千と千尋の神隠し』がBGMとして使用されたのには、こうした理由があったのです。

ちなみに、この撮影は飛田新地の料亭組合の協力のもと行われ、色々な事情を抱えた働く女性たちのプライバシーもあり、普段の撮影は禁止されているようです。