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「無断転載禁止」の効果と意味
ときどき「無断転載禁止」以外に「引用禁止」という表記のあるサイトやアカウントを見ます。
確かに、無断転載を禁止する、と表記する意味は理解できます。
無断転載とは、著作者の許可なく勝手にその作品を違う場所に転載することで、著作権法に引っかかるものです。
だから、実は本来は「無断転載禁止」とわざわざ表記しなくても、販売に関わらずネット上含め世に公表した作品があれば、誰もが著作権法で守られるべき著作者になるので、著作物は著作権法によって自動的に「無断転載禁止」になるのです。
しかし、著作権を理解しない人たちもまだまだ多いので、そのため「無断転載禁止」と書くことは、一定の効果があり、意味もあるのだろうと思います。
ただし、繰り返しますが、「無断転載禁止」の表記があろうとなかろうと、著作物はみんな「無断転載禁止」です。
ちなみに、ツイッターやYouTubeのような最初から埋め込み機能や共有機能が備わっているサービスはその限りではないと思います。
リツイートがそもそもほとんど無断転載のようなものですからね。
ユーザーは、本サービス上にまたは本サービスを介してコンテンツを送信、投稿または表示することによって、当社があらゆる媒体または配信方法(既知のまたは今後開発される方法)を使ってかかるコンテンツを使用、コピー、複製、処理、改変、修正、公表、送信、表示および配信するための、世界的かつ非独占的ライセンス(サブライセンスを許諾する権利と共に)を当社に対し無償で許諾することになります。
SNSはその拡散性が特徴であり、利用するメリットでもあるので、この辺りは許容せざるをえないのかもしれません。
「引用禁止」の効果と意味
さて、一方で不思議だと思うのが「引用禁止」という表記です。
この「引用禁止」に効果や意味はないと思います。以下、理由を簡単に解説します。
引用とは、ある一定の条件を満たせば、著作者に無断で行うことができる行為で、著作権法上も認められています。
その一定の条件というのが、以下の四つです。
[box04 title=”引用の条件”]- その引用が、自分の作品を表現するために必要であること
- 自分のオリジナルな文章が主であり、引用部分が従であること
- 引用部分とそれ以外(自分の文章の部分)が明確に区別がされ、引用文は改変しないこと
- 引用した著作物の出典の明示[/box04]
要するに、引用が自作の表現のために必要であり、全体を見たときに自分の文章のほうが質量ともに主従関係の主であり、しっかりと引用符などで区別なされ、著作物の出典が明示されていること。
この条件が整っていれば、「引用」は許される行為なのです。
著作権法の引用に関する項目でも、
公表された著作物は、引用して利用することができる。
この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
とあります。
また、引用に関するwikipediaでも、
引用は権利者に無断で行われるもので、法(日本では著作権法第32条)で認められた合法な行為であり、権利者は引用を拒否することはできない。
権利者が拒否できるのは、著作権法の引用の要件を満たさない違法な無断転載等に限られる。
と、引用は無断で行なって構わない旨が書かれています。
以上のように、「引用」は、条件が整っていれば、たとえ「引用禁止」とあったとしても自由に行なってもいいということになります。
それは写真や映像、音楽など文章以外の「著作物」も同様でしょう。
必要最低限の利用で、批評部分があくまでメイン(主)で、引用した音楽がサブ(従)という関係にあり、批評部分と引用部分が明瞭に区別され、クレジットもちゃんと表記すれば、音楽の「引用」も認められます。
なぜこうした引用が認められているかと言えば、その理由の一つに、健全な批評環境がそれによって担保される、ということが挙げられます。
何かを批評(賛同にせよ、批判にせよ)するには、多くの場合、その作品を引用しなければいけません。
しかし、仮に「引用禁止」の効果を認め、誰もが「引用禁止」とするようになれば、批評の質も下がり、やがて芸術作品全体の質も閉鎖的になって落ちていくでしょう。
もちろん無断転載は禁止であり、この無断転載にも、悪意の度合いや営利目的か否か、出典が書かれているものからまるで自分が作ったかのように発信する(パクる)ものまで、グラデーションがありますが、一方で「引用」が認められていることによって表現空間はだいぶ風通しのよさを確保していると言えるでしょう。
また、Google検索においては、引用も含めて、「どれくらい他サイトからリンクが多いか」というのも、検索順位に影響すると言われています。
引用の数は信頼の証の一つという考え方があるのでしょう。
研究者の世界でも、他の研究者に数多く引用されることは、評価に繋がると言います。
結局のところ、
インターネット上でも、印刷物でも、自分の文章を公にするということは、だれかに引用されることを覚悟するという意味です。
ということなのでしょう。
ただ、どんな日常も即座に「著作物」にしてしまうインターネットの世界なので、これからまだまだ改善は必要かもしれません。
以上、引用禁止の表記は意味があるのか、それとも意味がないのか、ということに関する解説でした。